TWIST&EQUALビフォーアフター
世の中に隠された謎を発見!できたり、寺社仏閣の探検?ができたらいいなぁ…と願いつつ
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 EQUAL「ツクヨミ」と「三柱の太陽神たち」PartⅠ
「ツクヨミ」 
存在感のほとんど無い月の神様
そんな地味な「ツクヨミ」が「三柱の太陽神」を仕切っちゃってる魔方陣

日本の最高神「アマテラス」 ヒーローチックな「スサノオ」と比べると、
同じ三貴子なのに、いるのかいないのか判らないような神様です。
このブログでも一回しか登場してないと記憶してます。
EQUALイザナギ目線(スサノオ×出雲)
そこではこう書きました。

ツキヨミの本家は長崎県の壱岐島と言われている。
現在では「長崎県壱岐市芦辺町国分東触」の神社とされているが、
江戸時代にひとりの学者が単純に地名から「月読神社」と決めたらしい。
「月読神社」はもともと芦辺町箱崎諸津触の男岳山頂にあって移動を重ねた、
という文書があるので、現在山頂にある「男嶽神社」が、
もともとのツクヨミの聖地と比定してみる。


今回も「男嶽神社」が出てきますが、東触にある「月読神社」も
学者がテキトーに決めたんじゃない、って気配がしてきました。
(男嶽神社はオレンジアイコン そこから引かれるラインも基本オレンジです。
月読神社(東触)は黄色いアイコン 基本黄色いラインです)

男嶽内宮唐松二等分.jpg
男嶽神社と、またまた登場の「伊勢内宮」「唐松神社(奥社)」を結んでみました。
そしていつものように「男嶽神社」から、
角度を二等分するようなライン(方位角67°24′06.22″)を下ろすと、
男嶽内宮唐松二等分拡大.jpg
ラインから1.6kmぐらい離れて「日光東照宮」?
男嶽神社と日光を結んだ水色ラインは、男嶽神社の角度を、
「14°32′01.76″」「14°40′02.27″」に分けます。
2つの誤差は0.918%なので、日光が「唐松・男嶽・内宮」をほぼ二等分してる事になります。
これが意図的だとしたら、その意味は??
「アマテラス系天孫」「もうひとつの天孫?物部氏」「徳川将軍家」にとって
とても重要な神社たちなのは事実ですが、
それを束ねてるのが「ツキヨミ」(の総本社かもしれない)って事から、
「月」に対応する「太陽」と考える事は出来ないでしょうか。
「伊勢内宮」「日光東照宮」から「太陽」を連想するのは簡単です。
現在の「唐松神社」の祭神はニギハヤヒではありませんが、
その奥にある「天日宮」という「太陽」を連想させる社に祭られています。
もともと唐松山にあった神社の主祭神が、
「ニギハヤヒ」だった確率は高いと思います。
※唐松神社でいつもポイントしてるのは奥社の方です。
「ニギハヤヒ」から「太陽神」を導き出すのは、
そんなに強引じゃないですよね。
ニギハヤヒの正式名称には「天照国照」がついていて、
「もうひとりの太陽神」を考える人は少なくありません。過去の魔方陣でも、
「ニギハヤヒはイズモの太陽神かも」と思えるモノがありました。
これらの事から3つの神社の共通点を「太陽神」と見なせば、
三柱の太陽神を仕切っちゃってるのが、月の神様「ツクヨミ」という頂角であり、
そのツクヨミと結びついて「東照大権現」という「太陽神」が、
「アマテラス」「ニギハヤヒ」という「太陽神」のバランスを取ってる?

(と身勝手な説を書いてしまったのだ…笑)

この「ツクヨミ」という頂角はもうひとつの「二等分ライン」を持ってました。
男嶽日光内宮二等分.jpg
オレンジラインは「男嶽神社」を頂角に、
日光東照宮・伊勢内宮を二等分する
「男嶽神社から74°38′07.11″ライン」です。
軌跡は江戸城の隣りにある日比谷公園付近を通ります。
男嶽日光内宮二等分日比谷公園.jpg
また「男嶽神社」と「江戸城天守閣跡」を結んだ藤色のラインは、
角度を「7°14′06.32″」「7°25′55.95″」に分け、
2角の誤差は2.725%です。そんなに小さな値ではないですが、
約15度くらいの角を、このくらいの誤差で、
等分してるのは、ちょっとミラクルっぽいようにも思えます。

さっきは「唐松神社」「日光東照宮」「伊勢内宮」という
「≒太陽神の神社」でしたが、同じ仕組みの魔方陣が、
「日光東照宮」「江戸城」「伊勢内宮」でも成り立つ事になります。
さっきの解読をスライドさせれば、
月の神様「ツクヨミ」を頂角にした「3つの太陽」と考えられるので、
「江戸」って町が、ツクヨミに認められた「太陽の都」って事になる??
(こんな事を考えてるのは宇宙で銀河でひとりかも…でもちょっと楽しいかも、笑)
※「日光・内宮二等分ライン」は長いラインなので、
江戸以外にも色んな所を通ります。
千年の都「京都」も通りますが、
下鴨神社、北野天満宮の北側です。
ここら付近は京都の中心部と言えないと思うので、
江戸の精度を見ると、ラインが京都を意識してるとは言いがたいと思います。
ただし上賀茂神社は意識してる気配がするような、しないような。
そういえば上賀茂神社の祭神「加茂別雷大神」も、
ニギハヤヒの別名って説がありますよね。
男嶽日光内宮二等分京都.jpg



同じ事を「東触の月読神社」でもやってみました。
最初に書いた通り、
現在「ツクヨミの総本社」とされている神社です。
「唐松神社」「伊勢内宮」と結んで、二等分ラインを引いてみると、
東触内宮唐松二等分.jpg 東触内宮唐松二等分拡大.jpg
さっきのオレンジラインより黄色ラインの方が、
日光に近づいています。(日光まで0.45km)
月読神社(東触)と日光を結んだ青いラインは、
角度を「14°27′03.63″」「14°21′18.35″」に分け、
誤差は「0.668%」 さっきの男嶽神社の0.918%より小さくなってます。

次に「日光東照宮」「伊勢内宮」と結んで、二等分ラインを引いてみると、
東触日光内宮二等分.jpg 東触日光内宮二等分拡大.jpg
月読神社(東触)と江戸城を結んだムラサキのラインは、
角度を「7°12′12.44″」「7°18′05.91″」に分け、
誤差は「1.363%」で、こっちも男嶽神社より小さい誤差です。
二等分ラインの黄色いラインはオレンジラインより、
江戸城(現在の御所)に近づいてるだけでなく、
その縄張りに引っかかってる状態です。

東触にある月読神社は現在も小さな神社で、
「ここがホントにツクヨミの総本社かいな?」って感じです。
前述の通り、江戸時代、延宝年間に平戸藩の国学者橘三喜によって、
「ここが月読神社なのだ」と決定させられたそうです。
江戸時代はイコール「徳川の世」ですから、
神社だって徳川の有利になるように、取捨選択されてたはずです。
そこで日光や江戸が出てくる魔方陣がより正確になるように、
全く関係ない神社を「ツクヨミの神社」にしちゃった?
なんて妄想が浮かんじゃいました。
しかし徳川家はツクヨミに対してそれほど愛着が無かったのか、
立派な社殿じゃなくポイントを残しただけみたいです。
ところで、
「もともとの月読神社」だったかもしれない「男嶽神社」ですが、
「男嶽神社 猿」で画像検索すると面白い発見があります。
石で出来た猿が無数に祭られてるんです。
祭神が猿田彦だからと思われますが、
他地域の「猿田彦神社」で、こんなたくさんの猿像がある神社は、
あるんでしょうか?ここ独特の風習に感じられます。
壱岐島には「猿岩」という名所があるので、
それにちなんだ石猿かもしれません。
もともと「牛の像」を奉納してたのが、
いつの間にか猿になったそうです。
その石猿の中で最もたくさんあるのが、
「見ザル・言わザル・聞かザル」の三猿です。
僕がそれを見たらこんな感想を持つと思います。
「まるで日光東照宮みたいだなぁ」
Googlemapで男嶽神社付近を見てみると、
座標「33.837763,129.752827」辺りに、
「男嶽神社石猿群」と書いてあります。
男嶽神社map.jpg
さっきのラインを重ねてみると、
「日光」ラインには載っていませんでしたが、
男嶽神社石猿群拡大.jpg
江戸城と結んだライン上に石猿群があるようです。
日光ラインだったら、魔方陣の証拠になりそうでしたが、
ちょっと残念です。ただ「日光」「江戸」と繋がる事をこっそり表明してる?
と考える事は…できないかな?
男嶽神社は男岳山頂近くにあって、
昔はその山に登ることも禁止されていたそうです。
聖地と見られていた事がわかります。
徳川家としては、魔方陣的に正確な東触の月読神社も大事だけど、
聖地らしい男嶽神社とも繋がっていたいと考えていて、
それが「国学者による認定」と「石猿の奉納」だった、
魔方陣だけから読み解いた勝手な説ですが、そんな事を思っています。

ラインを詳しく見ていくと他にも発見があったので、
それは次回。
男嶽東触月読神社.jpg


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