TWIST&EQUALビフォーアフター
世の中に隠された謎を発見!できたり、寺社仏閣の探検?ができたらいいなぁ…と願いつつ
04 | 2017/05 | 06
S M T W T F S
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -

 スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

 EQUALてんびん東照宮
魔方陣を探してると、ポイントを結んで出来た角度を、
ちょうど二等分するラインがちょくちょく出てきます。
例えば東国三社を二等分する「息栖神社―日光東照宮ライン」
三輪山・籠神社を分ける「神島―日光ライン」
香取・伊勢と「鹿島→天之日津久神社ライン」
黒住・綾部大本と「金神ライン」
綾部大本・天理と「錦之宮→金光ライン」
などです。これが魔方陣と言えるかわかりませんが、
かなり多く見つかったので「単なる偶然」とは思えないです。
きっと意識的なものと信じています。
今回もある角を2つに分けますが「二等分」って言うより、
2つのバランスを取って、釣りあってるように見えてきました。
まるで天秤のように

徳川家康は現在は日光東照宮に祭られていますが、
最初に遺体が運ばれたのは静岡県の「久能山東照宮」で、
一年後、日光へ改葬されたそうです。
この二社を結んだラインには徳川氏ゆかりの地と言われる
「世良田東照宮」が乗っています。
日光世良田久能山.jpg
これはテレビでも放送されたらしいので(青森では放送無し、笑)
ご存知の方もいらっしゃると思います。
確かに300mぐらい離れて世良田東照宮があるので、
3つは一直線と言ってもおかしくないと思います。
秀忠造営の日光東照宮奥社をここに移築したり、
かなりの扱いを受けた神社のようです。となると、
徳川発祥の神社、初代将軍「家康」の埋葬地を結んだ
「日光久能山ライン」もかなり重要なのかも、と思いました。

前置きが長くなってきたので、とっととEarth画像を張ります。
日光江戸城京都御所久能山.jpg
「日光久能山ライン」は「京都」「日光」「江戸」の角を二等分してるようです。
ポイントしたのは、
「京都御所」(ししんでんの位置)
日光はいつものように「東照宮の奥社」
江戸は「江戸城天守閣跡」です。
日光は「東国三社」や「三輪山・籠神社」を二等分した前科?があるので、
これで3回目になります。日光東照宮を拡大。
日光江戸城京都御所久能山拡大.jpg
上の画像を見るとかなり正確な二等分なのがわかると思います。
久能山・日光・江戸城が「34°16′16.98″」 10進法で「34.2714…度」
久能山・日光・ししんでんが「34°34′43.51″」「34.5788…度」 
2つの角度の誤差は「0.8969…%」 0.9%くらいの誤差がありますが、
「たった0.9%しかない」と見る事も出来ます。
(10進法と60進法が混ざった計算ですが、ひとつの目安として)

ちょっとですが誤差があったので、
誤差ゼロだったらどうなるのか調べてみました。
「日光→久能山ライン」から、
東に「34°16′16.98″」の位置に江戸城がありますが、
西に「34°16′16.98″」になるラインを引いてみます。
2つの角度は同じなので、誤差ゼロになります。
日光江戸城日光から241°46′01.12″連結.jpg
日光からの方位角「241°46′01.12″」ラインがそれに当たります。
もちろん他の県も通りますが、
ラインは京都のししんでん南側2.1kmを走っています。
ししんでんからちょっと離れていますが、
ラインは洛北も洛南も(洛西も?)ほとんど通ってないのに、
「洛中」はちゃんと通っているのは重要だと思います。

続けてししんでんでも同じ事をやってみます。
日光からの方位角「172°55′00.63″」ラインがそれに当たります。
日光ししんでん日光から172°55′00.63″連結.jpg
地図を見ると江戸城に近そうに見えますが、640mほど離れています。
しかし江戸の中央にとても近いラインなのは事実です。
江戸城は他の魔方陣にも参加しているので、
全てを鑑みて現在の位置に決まったはずです。
そう考えれば意外と近いといえるかもしれません。
加えて江戸築城時はスレスレまで波が打ち寄せていた
(ラインの場所は海中だった?)ので、
ギリギリまで近づいていると言えるのかも。

最初に書いたとおり、二等分ラインも意識的産物だと考えていて、
今回もそのひとつだと思っています。
未開の地に「新しいミヤコ」を作ろうとした徳川家は
「何百年も続いた『いにしえのミヤコ』と釣りあうくらいの感じで…」
なんて考えたんでしょうか。そのためにわざわざ久能山に埋めた後、
日光へ改装して「徳川初代ライン」を作ったのかもしれません。
洛中にいらっしゃる「唯一無二の天孫」と釣りあおうとするのも、
スゴイ大胆な決意だと思いますが。
(ちょっと「日前神宮の魔方陣」を思い出しちゃったりして…)
また徳川初代将軍がすでに「京」と釣りあってる状態なら、
次から次に生まれてくる将軍達は京都以上の存在になっていく、
と言うか「そうなって欲しい」という願いも含まれてるのかもしれません。
なぜなら日光東照宮の「東照」は、
「東側、(あるいは東側だけ)を照らす」とも読み取れるからです。


テーマ: - ジャンル:



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。